食と農の交流会in千歳
掲載日:2015.02.07
千歳のグリーンツーリズム連絡協議会のメイン行事「食と農の交流会」がANAクラウンプラザホテルで開催された。
街の人たちに千歳の農産物を知っていただく、農業を判って頂く、そして共に交流していく為の催事のひとつです。
昨日から自家栽培の野菜を使って料理を作り、今朝も早くから料理の仕上げに掛かって、やっとこさ持ち込んだ。
この時期は、根菜が多くアクセント用にと買い求めたお野菜の高価な事。
日頃、料理に熱を入れてない私なので、ちょっとひと踏ん張りの気持ちで台所に向かったのだけど、意外と楽しい気分になれた。
どなたが食べて下さるか判らない料理でも、「美味しい。」の一言を求めて探求して作る料理は、意外と楽しいものだと認識。
市内の農家の母さんや父さん(千歳の会員は、男性も積極的に料理に参加します。)そして、JA青年部や千歳高校の生徒さんたちも参加して、集まった品数が98種類。
お見事!!
私は、新作の長芋の胡麻焼きやサーモンのテリーヌ、おからサラダ、大根の味噌煮、キャベツのロールサラダ、トマトライス。
千歳高校の生徒さんが開発したグリーン色のソーセージが、ひと際、目だった。
頂いてないのでお味は判らないけど、ホーレン草を練り込んでいて、そのグリーンがとてもキレイでした。
他にもじゃが芋や豆を使った料理を開発している学生たちに拍手♪。
ゲーム大会の後は、宝島トラベルの鈴木氏の千歳のグリーンツーリズムの可能性についての講演を伺う。
昨今は、農家民泊や体験旅行の要望が、増えてきているけどまだ、受け入れ側に意識が高まってないし、体制も出来てない。
いっぱい、可能性を引き出せても受け入れ態勢が出来てなかったら”おもてなし”も印象が悪くなる。
外国人も多くなったけど、せめて「こんにちは。」の多言語をマスターしたいものだ。
千歳という強みのある地盤を活かしての受け入れ態勢や”おもてなしの心”のサービス業の学習が、もっともっと必要と思う。
先だっての観光審議会で外国人が沢山見えるように成ったけど、受け入れの窓口(空港やバスなどの運送機関)などがいっぱい、いっぱいで対応しきれないという話も出ていた。
北海道観光を旗揚げしている筈なのに、呼び込む前に受け入れ態勢も出来てなくちゃオカシイね。
虹色のグラデーションの海は、静かな波を湛えて優しく迎えてくれた。
ずっと昔、戦場であったことも、遠くの国で未だ戦いがあることなども無関心で、どこまでも穏やか海。
友人が嫌なことが有ると海に来て好きな歌を2曲でも歌えば、スッキリして家に帰れると、言っていたっけ。
そんな諸々の事を思いながら、私もこの海に立つと己の心の小ささに気付く。
毎年、この時期に全国の農業女性が集まるNORA21の視察を兼ねての旅行は、今回は奄美大島でした。
農業者でも自らの起業や加工に励む人たちなので、その元気の良い事は圧巻である。
まだ、数回しか参加してない私だけど珍道中の楽しさは、語りつくせない程でした。
すでに桜が咲いていました。緋寒桜だそうで赤い花びらは下を向いて開いています。
桜の季節には程遠い北国住まいの私たちは、えらくはしゃいで喜んでしまいました。
みんな、すっかり仕事や残してきた家族の事を忘れて楽しんでいます。(笑)
地元のタンカン栽培農家を視察させて頂き、タンカンが高価な果物である由縁を伺いました。
2月1日にハサミ入れをして村一斉にタンカンの収穫が始まるそうです。
今頃あの山で、ご家族総出の収穫が始まっている事でしょう。
ご馳走になったタンカンの甘酸っぱさが、まだ、しっかりと舌の記憶に残っていますよ。
石垣島でもサトウキビ畑が広がっていましたが、奄美もサトウキビの産地。
サトウキビを主原料とする焼酎の工場やサトウキビのお菓子が沢山売られています。
収獲したサトウキビの幹を何十年ぶりかで目にして、遠い子供の頃の記憶が蘇ってきました。
まだ小学校にあがる前くらいの頃、祖父はこのサトウキビで砂糖を作っていた。
私の記憶に残るオヤツは、この幹をかじって甘い汁を吸ったことや祖母が作ったパンや団子にこの砂糖を絡めて食べていたこと。
砂糖を作っていた作業の様子は浮かんでこないけれど、庭に山と積まれたカンショ(甘蔗)や黒糖尽くめの日々の料理は、しっかりと思い出されました。
奄美の旅は、祖父母と再会するような懐かしい記憶をたどる旅にもなった気がします。
気温17~20度前後の島での滞在でしたが、帰ってきた北海道も意外な暖かさでした。
道路は、夏状態で真冬であることを忘れてしまうくらい。
この暖かさを少し不気味に思うくらいです。
又、来年会えますようにと奄美で、東京で別れた友たちは、翌日からお仕事に向き合っています。