心折れた1週間だったけど
掲載日:2018.09.09
これが始まりだった。
一晩中、唸るような風の声を聞き、家の揺れも何かが倒れるような音も、来てる、来てる台風の声だ!と思いながら朝が来るのを待った日。
それが、何時の事だった?と、カレンダーを見る。
4日夜からから5日の未明の時間帯だった?
その日の夜、この作者綴りを書いていたのにプツンと電気があっけなく切れた。
台風の夜から停電になり日中も停電のまま、お店の営業も出来なかったが、まさかのその夜の停電から始まり地震(6日午前3時過ぎ)による停電へと続くとは…。
台風一過のあと、明るくなって目にした景色の異変に驚いた。
庭の木も折れているし散乱した葉っぱや木切れ。
ポニーも大脱走していた。
入り口の看板もテラスの屋根も姿無し。
店の前の国道337は、通行止めで泉郷は陸の孤島。
停電と通行止めでは休業しかない。
後に入った情報では、随分と営業を取りやめた店が多かったらしい。
気を取り直して、明日から頑張ろうと思ったのに、6日未明に起きた地震。
怖かった。半端な揺れでなく長くも感じた。
震度6強。震源地は、近いと思ったけど身支度して逃げるとか無理でベットにしがみついて身動きが出来なかった。
余震とも思う揺れは、明るくなっても続き、夕べもかなり揺れたから、いつまで続くのだろうか。
モチロン停電では情報が伝わってこない。
震源地がどこなのか、他県から届くお見舞いの電話でただ事のない状況になっている事だけが、ぼんやりと判るだけ。
恐怖心は、ずーと続いて何もする気力もなく、又、何をすべきかも判らなかった。
震源地傍に住むスタッフ家族を我が家に避難させて、僅かな明かりで暮らした。
幸いソーラーと発電機とで電気を確保し、不自由ながらも明かりを灯して暮らせたこと、水だけは充分に使えた事を幸せに思った。
ライフラインが断たれて、混乱しているけど農家には食料が有る。
冷凍庫に備蓄の肉類を取り出して、大家族の暮らし。
避難してきたスタッフは、気丈にしていたが、日中に自宅の後片付けや避難所へ行くとストレスでめまいが起きていたらしい。
今日の事、社宅の空があり我が家から帰っていったが、自宅にはいつ戻れるか、判らない。
ニュースで流れている災害地は、ほんの一部分でしかない。
伝えきれない災害地、避難所の暮らしがあることを知ってもらいたいと思う。
搾乳されないで啼く牛たちも、むごい。
水が断たれて動物たちに水を運ぶ事も並々ならぬ労働になっている。
花茶の営業は、まだ中途半端なまま。
アイスクリームの販売に至っては、目途が立ってない。
災害地が近いだけに、炊き出しの手伝いに出るし事も有り、ランチタイムのみの営業に成っています。
今まで北海道に台風は来ないとか地震も他所事のように思ってきたことを肝に銘じて自分たちの事として予防して暮らせなければと思った。
何時、終止符が打たれるか判らない状況だけど、平常心を取り戻して、災害地に心を寄せていたいと思う。