親孝行と人は言うけど
掲載日:2017.01.17
昨年の夏だっただろうか。
私の両親が、そろそろ認知症も深刻になってきていると子供たちに話した時「それじゃ、皆で高知へ行こう!」と長男の一言で、高知行きが決定した。
その当時は、まだ母も元気で家族全員で高知へ行くよと話すと楽しみに待っているという返事がきた。
そんな元気な母だったのに、暮れ辺りから急変してゲッソリと痩せ、食欲も無い。そして、まさかの看取り介護の身に成ろうとは夢にも思わなかった。
暮れに見舞いに行った時も、殆ど寝たままで食事を受け付けなかった。
正月明けて、家族全員で高知へ行く。
暮れの頃よりは、意識が有るように感じられたが、殆ど眠っていて目を開けない。
物言わぬ母の傍で、何も出来ずただ寝顔を見て過ごした。
それでも十分に美恵の気持ちは伝わっているよと友人に言われた事が救いだった。
ずーと眠っていた母が、私の子供や孫たちが揃って見舞いに来た時、ビックリ!目を開けて皆と少し話をし始めた!
皆の顔を見て、言葉に成らない言葉を発して嬉しそうだった。
背中を摩っていたら、「疲れたやろう」と、私の背中をトントンと肩たたきしようとする。
たった、半日の現実だったけど親子の想いを共有できる瞬間や時間が有った。
きっと、これが最後の会話かも知れないと思えたけど。
(写真は、祖谷のつり橋へ皆で行ってきました。)
人は、”親孝行出来たね。”という。
いや、違う。
私は、私自身が後悔しないために母の傍に来たのだし、子供たちを会わせた事も自分を納得させる為のようなもの。
私の子供や孫たちが、私と一緒に高知へ来てくれたことが、私に対しての親孝行だと思う。
この有り難い気持ちは、忘れないでいよう。
高知では、兄弟の家族も集まって夕食会を開いてくれた。
中々会うことが無い甥や姪の家族と団らんのひと時は、血縁の絆を嬉しく思えた。
鰹のたたきや高知の皿鉢料理、そして高知のお酒。
40数年前、一人で北海道へ嫁いで行ったのに、大勢になって高知へよく来たね。と、弟がにこやかに喜んでくれた。